【平安の物語】娘だけは知っていた!宗正の悲しみの深さ。 今も昔も、親子の縁の深さは不思議なもの──。
むかしある天皇が東宮(=皇太子)だったころ、蔵人所(くろうどどころ)と
呼ばれる役所の役人に、宗正という男がいました。
姿も心ばえも美しく、まじめな性格の好青年でしたが、
この妻もまた引けを取らぬ美しさと気だての好さで知られ、
誰が見てもお似合いの夫婦でした。
他人もうらやむほどの仲むつまじいこの若夫婦に、突如悲劇が襲いました。
ふとしたことで病を得た妻が、夫の必死の看病もかなわず、
最愛の夫とひとり娘とを残してはかなく世を去ってしまったのです。
悲嘆に暮れた夫・宗正は、妻のなきがらを棺に収めてもまだ、
妻の死を受け入れることができませんでした。
そして10日あまりの間、棺をわが家から移そうとしませんでした。
やがて思い乱れた夫は、棺の中を覗き込んでみました。
「私の妻は、いつまでも美しいはずだ。死んでなどいないはずだ!!」
そう信じていた宗正の目に映ったものは──。
宗正は、変わり果てた妻の姿に驚き、耐え難いほどの臭いに愕然とし、
一瞬にして世の中のすべての物事がむなしくなってしまいました。
そして自分も世を去ることを──出家することを心に固く誓ったのでした。
翌日、宗正はいつもより明るくふるまって身内を安心させておきながら、
夜中になってこっそり屋敷を棄てて出ようとしました。
戸を開けて一歩外へ踏みだそうとしたとき──。
「お父さまは、私を置いてどこへ行ってしまうの?」
家中の誰にも出家の決意をつゆほども気取られなかったというのに、
まだ幼い娘が目に涙を浮かべ、力づよく袖をひっぱるのです。
美しかった妻にうりふたつの、愛おしいわが娘が……。
宗正は取りすがるそのほそい手を振りはらい、屋敷をあとにしました。
「許せ、許してくれ。妻に似ているそなたを見ているだけでも辛いのじゃ」
娘の泣き声が、遠ざかる父の耳元にいつまでも響きつづけました。
脚色 江幡店長 出典『今昔物語集』
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