京都せんべいおかき専門店【長岡京小倉山荘】今昔物語集 宇治拾遺物語 古今著聞集 古本説話集 〜平安の物語〜

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 【平安の物語】魚に助けられた父母の話。

  都が京都盆地へ遷ってまもなくのころ。
  東大寺、興福寺をはじめ、奈良の七大寺の額を書いたと伝えられる
  朝野魚養(うおかい)という著名な書家は、さる遣唐使の息子でした。

  遣唐使である父は、唐へ渡ってからかの地で妻をもうけました。
  めでたく子供もできましたが、やがて日本へ帰る日が来てしまいました。
  妻との別れの節──。

  ◆遣唐使「淋しがるでない。次の遣唐使に必ず便りを託そう。
            子供が大きくなる頃には必ず日本に迎えられるよう計らおう」

  そう約束して、夫は日本へ帰朝しました。
  ところが、その後新たな遣唐使が唐へ渡っても夫からの消息は一切なく、
  それを大いに怨んだ妻は、海へ向かってこう叫びました。

  ◇妻「便りをくれると約束したのに!こんな子供は日本へ返してやるわ!!
        親子の縁が本物なら、きっと再会できるでしょうよ!!」

  妻は「遣唐使○○の子」と書いた木の札をつくり、
  わが子の首に紐でくくりつけ、小さな体を大海原へ放り投げました。
  日本に帰ったきりの非情な夫への絶縁状のつもりだったのでしょう。

  それから数日後。
  日本にいる夫は、所用で難波の浦のあたりを通りかかりました。
  沖の方に白いものが浮いているので、不思議に思って眺めていると、
  3〜4歳の稚児が波の上をぷかぷか浮いて流れてきます。

  驚いて見ると、なんと稚児は大きな魚の背に乗せられていたのでした。
  浜へ打ち上げられ、その首にかけられている木札の文字を見た夫は、
  一瞬にしてすべてを悟りました。「遣唐使○○の子」……。

  その後父は、はるばる海を渡ってきた稚児をあわれに思い、
  大切に大切に育てました。唐にいる妻にもこの旨を手紙にして伝えてやると、
  今はわが子を棄てたことを大いに反省して、息子の無事を心から喜びました。

  やがて成人になり、書家として優れた事績を残すことになるこの稚児を、
  父は魚に助けられた子という意味で「魚養(うおかい)」と名づけました。
  もっともこのとき魚に助けられたのは、稚児ばかりではありませんでした。

  人の道を外さずにすんだ二人の親──。
  真実魚に救われた二人とは、
  怒りにまかせていたいけなわが子を海へ棄てた母であり、
  よるべなき妻子を遠い異国の地に置き去りにした父その人でした。

                                  脚色  江幡店長  出典『宇治拾遺物語』

 

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