【平安の物語】穏和な女流歌人が見せた烈しき「謙譲」
○紫式部の貞淑 ○清少納言の機知 ○和泉式部の奔放 ○赤染衛門の謙譲
平安時代の四大女流歌人(作家)の人となりや作風はこう表現されてきました。
大作を残した紫式部、清少納言。派手な浮き名を残した和泉式部。
その3人に比べ、赤染衛門という女性はすこし影が薄い感じがします。
影が薄いことそのものが「謙譲」と評されるゆえんかもしれませんが、
しかし、彼女もやはり一人の強い女性であり、たくましい母でもありました。
それは平安時代の中ごろのこと。
息子・大江挙周(たかちか)が重い病にかかり、余命幾ばくも無し
という状態になると、母・赤染衛門は急ぎ摂津国へ下りました。
赤染はもともと、人より一歩退いたところにいるような温厚な女性。
才媛のほまれ高い紫式部と清少納言という犬猿の仲の二人とも、
それぞれ親しくしていたほどでしたが、このときばかりは違いました。
髪も衣装も整えないまま車を急がせ、前をゆく者を次々に追い越し、
息も絶え絶えになったわが子のために、一路住吉神社へ向かったのです。
そこで彼女は、七日間ほとんど飲まず食わずで昼夜祈り続けたのでした。
「住吉の神よ。このたびもし、わが子挙周の命が救われぬとあらば、
即座にこの命を引き換えに召し上げてくださいませ」
ご神体の方へそう言い放った赤染の目には、
鬼気せまる鋭さがありました。
そして七日の参籠を終えると、最後に切な想いを歌にしました。
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【歌】かはらんと祈る命は惜しからでさても別れんことぞかなしき
【意】余命幾ばくもないあの子の命に換えられるのなら、
私の命などすこしも惜しくはないわ。
離ればなれになる悲しさに比べたら……。
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この母親の痛烈な想いに、神が感応したのでしょうか。
挙周の病はたちまち奇跡的に癒えて、
赤染が京に戻るころにはすっかり回復してしまったのでした。
やがて赤染が住吉での参籠のいきさつを挙周に語ると、
挙周はひどく嘆きました。たとえ自分が生きながらえても、
母の命を縮めてしまったら何の生きる励みもない、と言うのです。
そして挙周はすぐさま車を走らせ、住吉神社へ詣でました。
彼は住吉の神に、母と同じことを祈りました。
「一度死にかけた私の命を母の命と引き換えにしてくださったのでしたら、
どうかどうか今一度お聞き届けください。
この私の命を再び召し上げて、母をお助けくださいますように……」
この深い情愛で結ばれた母子は、ついに二人とも生きながらえたのです。
赤染衛門の「謙譲」とは、いざとなれば命を「譲り合う」ほどの烈しさを
内に秘めた、たくましい「謙譲」だったのかもしれません。
脚色 江幡店長 出典『古今著聞集』
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