【平安の物語】どんな時でも己を貫く!小野篁ここにあり
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│ ■ 人呼んで「野狂」──我が道をゆく男! │
│ ■ さぁなんと読む?御所の落書き「無悪善」 │
│ ■ わしは悪くない!己を貫き通して生まれた名歌 │
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■ 人読んで「野狂」──我が道をゆく男!
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嵯峨天皇の御代、「野狂」と異名をとる一風変わった官吏がいまし
た。相手が天皇であろうと上官であろうと、一度こうと思ったらテ
コでも動かない。正しいことはどこまでも正しいと貫き、決して妥
協を許さない。そんな反骨精神むきだしのこの男、名を――。
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┃ 小 野 篁 (おののたかむら) ┃
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あれ?そういえば、典麗な歌撰集であるはずの『小倉百人一首』の
詠み手に、こんな名前の男がいましたっけ?
──ともかく小野篁という人は、趣深い和歌や見事な漢詩を詠んだ
人とは思われない、激しい直情型の性格だったようです。そんな彼
の面影を伝える話をここにご紹介します。
■ さぁなんと読む?御所の落書き「無悪善」
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はじめに言っておきますが、これから話すお話は明らかに後世の作
り話です。ですが、小野篁という人がどんな印象で受け止められて
いたかを知ることは、彼の本当の人柄に迫るよい手がかりになると
思います。
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ある日のこと。誰が立てたものか、御所に立て札が立ててあり、そ
こに「無悪善」と書かれていた。何と読むのか、何を意味するのか
誰一人わかる者はいない。否、本当は読める者もいたのかもしれな
いが、天皇の前であえてそれを口に出そうとする者はない。嵯峨天
皇はこのとき、博学の小野篁にご下問された…。
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◇ 嵯峨天皇 「『無悪善』とはなんと読むのか?」
◆ 小野 篁 「私には読めますが、恐れ多いので申し上げられませ
ん」
◇ 嵯峨天皇 「かまわぬから申せ!」
◆ 小野 篁 「……『さがなくてよからん』と読むのです。君に怨
みがあるのでしょう」
【注】「さが」は嵯峨天皇をさす
◇ 嵯峨天皇 「な、なんだと!! お前だけが読めたということは、
さてはお前が書いたのだな!」
◆ 小野 篁 「……ですからさきほど申し上げられませんと申しま
したのに」
◇ 嵯峨天皇 「むむ……、ならばお前は書かれた字はどんなもので
も読めると申すのだな?」
◆ 小野 篁 「ふっ、わたくしには読めない文字などございません」
◇ 嵯峨天皇 「ならばこれを読んでみよ!」
――嵯峨天皇はお怒りのままにこう書かれた。
『子子子子子子子子子子子子』
◆ 小野 篁 「ははぁ、これは『ねこの子のこねこ、ししの子のこ
じし』と読むのです」
【注】「子」が「ね」「こ」「し」と読めることからの機転
◇ 嵯峨天皇 「はっはっは!なるほど篁め、うまく読んだものだ!」
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帝は機嫌を取り戻され、結局落書きの一件はそこで沙汰止みになっ
たという。
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作り話とは言え、あの小野篁ならば、天皇の勘気をこうむっても正
しいことをまっすぐに直言したに違いない!という後世の人々の期
待感がうかがわれるお話です。
■ わしは悪くない!己を貫き通して生まれた名歌
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さてここからは史実です。小野篁は、834年に遣唐副使に任命され
2度唐への航海に乗り出しましたが残念ながら暴風などに阻まれ、
渡航に失敗してしまいました。そうして3度目の挑戦の時のこと。
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上役の遣唐大使である藤原常嗣が、出発前に篁のもとへ急に使いを
寄越した。
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◇ 常嗣の使 「大使様より船を交換せよとのご命令です」
◆ 小野 篁 「船を?はて、なぜでしょうか?」
◇ 常嗣の使 「大使様の船が破損しております。大使様は、この船
では唐まで安全にゆけるかどうか不安だと仰ってい
ます」
◆ 小野 篁 「な、なんですと!むむむ……!!」
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こうして無理矢理船を交換させられた篁でしたが、ここで黙ってい
られる男ではありません。病と称して結局渡海しなかった彼は、さ
すが博識の人――『西道謡(さいどうよう)』という見事な詩をつく
り、痛烈に大使の専横を批判しました。しかしこれが嵯峨天皇の逆
鱗に触れ、彼は隠岐に流される羽目に…。
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│わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣舟│
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┌ 海女の釣舟よ ┐
│ 都に残してきた恋しいあの人にだけは告げてほしい │
│ 大海原にあまたある島々の間を縫うようにして │
└ 篁は舟を漕ぎだしていったよと… ┘
彼が隠岐へ向かう途次、恋する女性との別離の切なさをしたためた
この一首が、1200年の時を経てなお読み継がれる名歌となったので
した。
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PS:篁はその詩才と博識を惜しまれ、2年後には京に呼び戻されて
復位し、のちに参議まで出世しました。スジを通し己を貫きつづけ
た小野篁は、憎まれても憎まれても、愛されつづけた男でした。
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