【平安の物語】左大臣源融・あぁ…わが豪邸に未練アリ!
┌──────────────────────────┐
│ ■ 光源氏が住んだのはこんなおうち? │
│ ■ ハッキリ言って異常!融左大臣流「もののあはれ」 │
│ ■ 邸宅への執着、死後も棄てられず… │
│ ■ 朽ち果てても残った融左大臣流「もののあはれ」 │
└──────────────────────────┘
■ 光源氏が住んだのはどんなおうち?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
かの光る源氏の君が住んだ豪邸・六条院。
春夏秋冬の四つの庭をしつらえ、紫の上・花散里・秋好中宮・明石
の君を住まわせたその豪邸のモデルは、【河原院(かわらのいん)】
だったと言われています。つまり、
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 左 大 臣 源 融 ( みなもとのとおる ) ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
の邸宅です。そのお屋敷の壮麗なことは当時から世に聞こえ、融自
身も【河原の左大臣】と呼ばれていたほどでした。
この方は嵯峨天皇の皇子でしたが、臣籍に下り源氏の姓を賜ったこ
とや、かなりの美男子だったらしいことから、光源氏のモデルの一
人と言われています。
■ ハッキリ言って異常!融左大臣流「もののあはれ」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
一時は天皇の位を望んだと言われる左大臣源融。
藤原氏の反対にあい、ついに悲願は叶わず、また同時代に若き敏腕
政治家・太政大臣基経があったためこれと言った事績も残せず、そ
の政治的不遇のせいでしょうか、河原院にかける彼の情熱は並々な
らぬものがありました。
河原院は六条の鴨川のそばにありました。もともと数々の趣向を凝
らした庭でしたが、鴨川から水を引き入れて池をつくっただけでは
気がすまず、陸奥国の【塩釜の浦】の景色を庭に移したいと思い立
ち、なんと難波からわざわざ海水を運ばせて池に湛え、塩焼をさせ
てその景色を楽しんだというんです!!しかもその水底には、海に住
む魚や貝が飼われていました。──これは「贅沢」というレベルを
とうに超えて「異常」の域にまで達しています!
■ 邸宅への執着、死後も棄てられず…
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
左大臣源融がこれほど異常な風流を楽しむ場所とした河原院は、彼
が亡くなり、邸宅がそっくり宇多法王に献上されるに及ぶと、その
執着の深さゆえにこんな逸話を生みました…。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ある日のこと。法皇が河原院の一間で眠っていらっしゃると、西の
対のほうから衣ずれの音をさせて近づいてくる者があった。法皇は
不審にお思いになり物音の方をご覧になると、衣冠束帯につつまれ、
きちんとした装束をまとった者がそこにかしこまっていた。
──────────────────────────────
◇ 宇多法王 「お前は誰か?」
◆ 謎の人物 「この家のあるじの老人でございます」
◇ 宇多法王 「融の大臣か?」
◆ 謎の人物 「そうでございます」
◇ 宇多法王 「何の用だ?」
◆ 源融大臣 「わが家なので以前よりずっと住んでおりますが、帝
がお出ましになったのがもったいなく、窮屈にして
おります。どうすればよろしいでしょうか?」
◇ 宇多法王 「さてもおかしなことを申す。死んだお前の子孫がわ
しに献上してまいったこの屋敷、わしが住むのは道
理である。わしが奪い取ったとでも言うのであれば
ともかく、礼儀もわきまえず、なぜこのように恨む
のか!!」
──────────────────────────────
法王に一喝され、融の霊はどこへともなくすーっと消えていったと
言う…。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
この有名な逸話は、手塩にかけてつくりあげた河原院への執着が題
材となっていますが、もう一つ、忘れてはならない背後関係があり
ます。源融は、かつて皇位を望んだとき、「たとえ天皇の皇子とは
言え、一度臣籍に下った者が天皇についた例はない」と太政大臣藤
原基経の反対にあい夢破れたのでした。ところが光孝天皇が崩御さ
れた際、同じく天皇の皇子で臣籍に下りながら、基経が推して帝位
につけたのが何を隠そう宇多天皇その人だったのです。
──────────────────────────────
政治的敗者ではあっても、依然として河原院を「わが家」と呼びつ
づける左大臣源融。政治的勝者であるがゆえに、融への後ろめたさ
からその亡霊に追われる宇多法王。上の逸話は、単なる幽霊話とい
うにはずっと情念の根が深そうですね…。
■ 朽ち果てても残った融左大臣流「もののあはれ」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
夕暮れの塩焼の景色──その一瞬の風景を見たいがために莫大な浪
費を厭わなかった左大臣源融。月日がたち、やがて荒れ果ててしま
った河原院は、歌の名手たちの格好の題材となりました。貫之、能
因法師、源道済など、そうそうたるメンバーがいにしえの風雅を偲
んだ歌を詠んでいます。
┌────────────────────────────┐
│行く末のしるしばかりに残るべき松さへいたく老いにけるかな│
└────────────────────────────┘
┌ 河原院はここにあったのだよと ┐
│ 後の世の目印になるはずだった西の対の松 │
│ その松さえも │
└ 今ではすっかり老木になってしまったことだ ┘
三十六歌仙の一人・源道済の歌です。土佐国から上京してきた紀貫
之は、久々に見る河原院の、塩を焼く煙が絶えた塩釜を見て「うら
さびしくもみえわたるかな」と感慨をもらしています。
|