【平安の物語】気むずかし屋の最高権力者。涙の便り。
平安時代中期、関白太政大臣・藤原実頼(さねより)という方がいました。
時の最高権力者でしたが、気むずかしく融通の利かない性格だったため、
周囲の人間からはすこし敬遠されていました。
この実頼に、少将・敦敏(あつとし)という息子がいました。
実頼はこの息子をずいぶん可愛がっていたらしく、敦敏が36歳という若さで
病気で亡くなってしまうと、その嘆きぶり異常なほどでした。
「あぁ、わたしの可愛い可愛い息子よ……。
どうしてわたしを置いて逝ってしまったのか……。
悲しみから逃れるすべを知らぬ父をひとり残して……」
そうして息子の喪があけるころ。
ふと、奥州に住む懐かしい人から一通の便りが届きました。
敦敏の乳母だった女が、昔を懐かしんでこんな手紙をよこしたのです。
「歳をとったせいでありましょうか。
近ごろ昔のことばかり偲ばれて、若君に再会したい気持ちでいっぱいです。
今頃は36歳。さぞやご立派な男ぶりでありましょうね」
実頼は古い人からの消息を手にしながら、
大粒の涙をポロポロと落として、こう返事をしたためました。
「息子は先日、病で亡くなってしまいました。
わたしだけがこうして生きながらえております……」
【歌】まだ知らぬ 人もありけり 東路に 我もゆきてぞ 過ぐべかりける
【意】東国にはわが子の死をまだ知らない人がいたのですね。
そうと知っていたなら、わたしも東国へ行って住んでいたものを。
息子の死に目にあわずにすんだものを……。
手紙に書き添えられたその歌には、時の最高権力者としての威厳も、
気むずかし屋としての頑なさもありませんでした。
彼もまた、か弱い一人の親だったのです。
脚色 江幡店長 出典『古本説話集』
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