【平安の物語】康子内親王・色好みの夫を繋ぎとめる方法
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│ ■ 道長公の権勢はおじいちゃんのおかげ♪♪ │
│ ■ ハイソサエティばかりを狙う!! 師輔公一流の色好み │
│ ■ 康子内親王のおめでたと産後の病 │
│ ■ ひと針ひと針に思いをこめて… │
│ ■ 蛇足:師輔公長男の小倉百人一首撰歌 │
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■ 道長公の権勢はおじいちゃんのおかげ♪♪
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平安時代に権勢をふるった藤原氏の栄華と言えば、まず思い浮かべ
るのは藤原道長(みちなが)さんですね。小学校の教科書でも、藤原
氏の最盛期を彩った人として、道長―頼通(よりみち)父子について
触れられていたかと思います。
ひと口に藤原氏と言っても、身分はピンからキリまで。数百、数千
はあると思われる藤原一族の家系の中で、なぜ道長さんの家系だけ
が飛び抜けて繁栄し、いわゆる「摂関家」と言われる栄誉を賜りつ
づけたのでしょう?――その答えは、道長さんのおじいちゃん、
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┃ 右 大 臣 藤 原 師 輔 ( も ろ す け ) ┃
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さんが、人物がすぐれ、度量が大きく、ものすごい強運の持ち主だ
ったからなんです。この方のご子息のうち実に5人までもが「太政
大臣(だいじょうだいじん)=太政官の最高位である名誉職」に任じ
られ、栄華を極めました。そして5人の中のひとり、兼家(かねいえ)
さんが、道長さんのお父サマです。
■ ハイソサエティばかりを狙う!! 師輔公一流の色好み
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藤原氏の栄華について語るとき、面白い逸話がいくつもありそうで
すが、今回はこの師輔さんの政治能力や歴史的な功績についてお話
ししようとするのではありません。同時代の公卿の中でもずば抜け
て優れていたこの方、当然女性たちのあこがれの的であり、「英雄
色を好む」の言葉通り彼自身もかなりの色好み(いろごのみ)でした。
しかも、臣下でありながら内親王(天皇の皇女)を3人も妻妾に迎え
たというのですから相当のもの。彼以前に臣下に皇女が降嫁された
前例はないというのに、いきなり3人です!
こんな浮気性な彼ですが、あるときからパタリと女性のもとに通う
のをやめてしまいました。彼の悪い癖をやめさせたのは、3人の皇
女のうち最も遅く嫁いだ一人の女性――康子内親王という方です。
■ 康子内親王のおめでたと産後の病
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ここからが物語のはじまりはじまり〜♪
師輔公は醍醐天皇の2人の皇女を妻に迎えた後、あらたに3人目の
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┃ 康 子 内 親 王 ( こ う し な い し ん の う ) ┃
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を自邸に迎え、大切にお世話して差し上げていた。やがて内親王は
懐妊されたが、体の調子がだんだん悪くなったので、
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「私はこのお産のあと、とても生きていられないような気がします。
どうかどうか最期を見とどけてください」
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と言うと、師輔公は涙ながらにこう答えた。
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「本当にそのようなことになったら、私も生きてはいられません。
もし長らえる命だったとしても、必ず出家いたします。もし、出
家がかなわなかったとしても、二度と他の女性を娶ることはいた
しません」
■ ひと針ひと針に思いをこめて…
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師輔公の思いも実らず、残念ながら康子内親王は産後の病で亡くな
りました。悲嘆に暮れた師輔が、衣類を入れる箱を開いてみると、
中にはなんと【襪(しとうず)】と呼ばれる、現代で言う靴下がいっ
ぱいに詰まって入っていました。妊娠の経過が思わしくなく、死期
を悟った内親王が、病をおして手ずから縫った靴下が…。
洗濯をして再び同じ物を身につけるという習慣のなかった平安貴族。
どうせ履き捨てられてしまう靴下など侍女に任せて縫わせればいい
ものを、皇后に準じる位にまで列せられていた康子内親王は、亡く
なるまでのあいだ、慣れぬ手つきで一つ一つ懸命に縫いつづけてい
たのでした。
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ひと針ひと針に情念のこもった襪――。
当代きっての色好みと評された師輔公でしたが、その後は手縫いの
襪を履くたびに康子を思いだし、さめざめと涙を流し暮らして、約
束通り生涯独身を通したということです。
■ 蛇足:師輔公長男の小倉百人一首撰歌
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皮肉な因縁と言うのでしょうか。小倉百人一首に師輔公の長男伊尹
(これただ)のこんな一首が採られています。
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│あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな│
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┌ かわいそうだと言ってくれるような人は ┐
│ 誰ひとり思い浮かべることができない │
│ このままわたしは思い焦がれつづけて │
└ やがてむなしく死んでしまうのでしょう ┘
伊尹は康子内親王の子ではありませんが、通っていた女性が急に冷
淡になり、逢ってくれなくなったときに詠んで送った歌です。しか
し歌の上手な彼が同情を誘うためにつくったこの歌は、手縫いの靴
下のように首尾よく相手の心をつなぎとめるには至らなかったよう
です。
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